東日本大震災の記憶を「記録」「再生」『風化』の三つの実践を通して受け渡し、「受取人の想像力」から始まる伝承によって、社会の内側に根づかせていく長期プロジェクトです。
その核にあるのは、誰かの記憶が誰かに届き、また次の誰かへと手渡されていく「記憶の螺旋階段」を育む、という発想です。
※『風化』:徳を持って教化すること(広辞苑 第7版)
人口減少が進み、気候災害が相次ぎ、感染症が社会を揺らす ── いくつもの危機が同時に進む「新常態」の時代に、災害の記憶をどう未来へ手渡すかは、もはや東北だけの問いではなくなっている。
東日本大震災から15年が経った2026年、伝承の現場は静かな転換点を迎えている。
震災があぶり出した課題は、いまなお地域や社会の足元に続いているにも関わらず、記憶だけが薄れていく。自治体で追悼式典の縮小・廃止、震災遺構の来場者の減少傾向は続き、経験者が語り続けることを前提とした伝承モデルは、その持続可能性において再検討の時期を迎えている。
そして、この壁は、東北だけのものではない。全国の災害伝承の現場が、いま、同じ問いの前に立っている。各地の郷土史家や伝承施設は、先人の記憶を継ぐ営みを、脈々と積み重ねている。本プロジェクトは、こうした全国の実践の連なりのなかで、ひとつの新しい道を拓こうとする試みである。
東日本大震災の記憶をめぐっては、追悼や支援、教訓化・伝承といった流れが形成されてきた。一方で、そのあいだにある時間や、語られにくいまま孤立してきた記憶は、十分に掬い取られてきたとは言いがたい。
TOHOKU2041 Project は、震災の記憶を記録し、表現を通して再生し、やがて社会の内側に根づかせ、
震災の経験を過去の出来事として閉じるのではなく、今なお続く地域課題や社会課題として見つめ続けるための土台としていくことを目指す。
本プロジェクトの根底にある願いは、
「(大変なこともあったけれど)みなさんのお陰でいい人生だった」
と誰もがこのひとことを言える社会へ向かうことである。
「“受取人の想像力”から始まる伝承」
本プロジェクトにおいて、差出人とは、震災の経験や思いを、「いつか誰かの役に立てばいい」という祈りとともに差し出す人である。
しかしその差し出しは、多くの場合、匿名的であり、直接には知られない。そこには、災害に至らぬよう誰にも知られることなく社会を守り続けている存在 ー─ いわば「アンサング・ヒーロー」──の姿が重なる。それは、 鷲田清一が『しんがりの思想』で描いた一人の石工 ── 未来の職人の目を想って、誰に命じられるでもなく黙々と石を刻む人 ── の姿とも重なる。
だからこそ、その存在や思いに気づくためには、受取人の「想像力」が必要になる。
そして、その差出人やアンサング・ヒーローの存在に気づいたとき、受取人は、単なる受け手にとどまらず、自らもまた、次の誰かに記憶や経験を差し出す「新たな差出人」になることができる。
TOHOKU2041 Project は、この循環を育てることで、震災の記憶を社会の中に受け渡していく。
それは、差出人から受取人へ、受取人から次の差出人へとつながる「記憶の螺旋階段」を育てる試みでもある。
ここには、「教える側/教えられる側」「支える側/支えられる側」という、上下の非対称はない。受け取った人が、次の差し出し手になる ── その対等な循環こそが、このプロジェクトの背骨である。
震災の貴重な記憶は、記録しなければやがて失われる。
それは未来に活かせなくなるだけではない。辛い思いが昇華されないまま一人ぼっちで心に残り続け、再設計への道を遠ざけることにもつながる。記憶の孤独を放置することは、人の孤独を社会が放置することにもつながりかねない。
記憶は、こちらから迎えに行くものではない。語りたくなったときに、そっと受けとめられる準備をして、待つ。本プロジェクトでは、まだ言葉になっていない経験、ひとりきりになっている記憶、地層化した記憶、災害の「間(あわい)」にある時間と感情を掬い、記録する。
(主な取り組み)
『3月16日の私の日記』
発災5日目に焦点を当て、追悼と伝承のあいだに置き去りにされがちな時間と、ひとりきりになっている記憶を、日記という形式で受け止める取り組み。
記録は、残すだけでは継承されない。
沿岸地などに残る板碑のように、往時の被災者が渾身の思いと力を込めて残した記録も、それを語り、甦らせる人がいなければ、やがて継承されなくなる。
本プロジェクトでは、記録を単に読むだけではなく、表現の手法を通して「活きた記憶」として継続的に再生していく。
(主な取り組み)
・『記憶の中の住まい 仙台・荒浜ツアー』(2025.11.16開催)
・『3月16日の私の日記』朗読会(2026.3.16 せんだい3.11メモリアル交流館)
・『記憶の中の住まい 山元ツアー』(2026年実施に向け企画中)
本プロジェクトがめざす『風化』とは、記憶が必要以上に薄れていくことではない。
震災の経験や、そこで見えてきた課題が、殊更語らずとも生活の中に息づいている状態へ向かうことである。未来永劫、同じ形で語り続けることが理想なのではない。記憶が社会の内側に教化され、内面化され、暮らしや地域のふるまいの中に根づいていくことを目指したい。──文化とは、社会の一部門ではなく、人がどう暮らし、どう人と関わり、どう生き死にに向き合うかという、営みのスタイルそのものなのである。
※『風化』:徳を持って教化(内面化)すること
(広辞苑 第7版/カッコ内は代表佐藤)
(主な取り組み)
「5日目の約束の場所」
(2026年開始を目標に、愛媛県松山市、和歌山県白浜町・串本町での実施を計画中)
TOHOKU2041 Project は、継承の壁といわれる「発災から30年」という、ひとつの通過点を名称に取り入れた。記憶を記録し、再生し、やがて社会の内側に根づかせていくことによって、震災の経験を過去の出来事として閉じるのではなく、今なお続く地域課題や社会課題として見つめ続けるための土台をつくっていく。
2041年に向けて必要なのは、単に「忘れない」と言い続けることではなく、誰かの記憶が誰かに届き、その受け取りが次の差し出しへとつながっていく循環をつくることである。TOHOKU2041 Project は、その循環を、震災の記憶が孤立しないための「記憶の螺旋階段」として、東北から長い時間をかけて育んでいこうとする試みである。
この螺旋階段は、急いで登り下りするものではない。一段ずつ、焦らず、ときに楽しみながら、長い時間をかけて育んでいくものである。完成をめざすのではなく、手渡し続けること、関係が続いていくこと自体を、大切にしていきたい。
また、本プロジェクトでは、この「記憶の螺旋階段」を支える静かな受け取り手の広がりを、「交流人口」 「関係人口」の先にあるものとして仮に『記憶人口』と呼んでみたい。それは人数の多さを競うための言葉ではない。誰かの記憶の孤独をそっと受け取り、自らの内に留め、必要なときにまた次へ手渡していく人びとの存在の厚みを指している。
ロゴは、「支援者」「アンサング・ヒーロー」「被災者」の三つの層を、波として重ねて表している。
波の背景にある地層の断面は、『風化』のイメージを可視化したもの ─ 震災の記憶を、暮らしと地域のふるまいの中へ「風化(内面化)させる」という、この活動が必要でなくなることをめざす願いを込めている。
※『風化』:徳を以て教化(内面化)すること
(広辞苑 第7版/カッコ内は代表佐藤)
そして「再生」という言葉の意味を、広く捉えた形でもある ─ 継続して「再生」する(revitalization/revival)、活きた記憶として「再生」する(resuscitation)、震災の記録を「再生」する(playback)。「震災の記憶」は「記録」しないと時とともに消えていく。「記録」は「継続して再生」していくことで、初めて語り継ぐことができる。