「3月16日の私の日記」とは
「3月16日の私の日記」とは
あの日の、私しか知らない5日目がある。
・日記という形式で、語る場を持たなかった記憶を受け止める
・発災5日目(5日後)という、まだ整理されていない時間に焦点を当てる
・追悼と伝承のあいだを急がずに見つめる
東日本大震災をめぐって、私たちはしばしば「忘れない」という言葉を使う。この「忘れない」には、少なくとも三つの意味がある。
一つは、失われた命や戻らない風景、取り戻すことのできない時間、そして感情に寄り添い、共にすごすこと。
これは追悼の領域であり、本来きわめて個別的で、簡単に共有や一般化のできるものではない。
二つ目は、震災がいまなお続いているということ。そして震災があぶり出した課題が、特定の地域にとどまらず、私たちの足元に続いていること。これを忘れないことである。
三つ目は、震災の経験から得た教訓を、未来の人々へ手渡していくこと、すなわち伝承である。
社会はこれまで、甚大な被害を受けた地域や人々の経験を、追悼や支援、そして教訓化・伝承の流れの中で受け止めようとしてきた。そこには極めて大切な役割があり、命を守る伝承として、今後も中心を担っていく。
しかしその一方で、激甚な被害とは言い切れなくとも、確かに揺さぶられ、傷つき、不安や戸惑いの中に置かれた人々の経験は、十分に掬い取られてきたとは言いがたい。内陸部や遠隔地にいた人、自らを「被災者」と呼ぶことにためらいを感じてきた人、語るに足ることではないと思ってきた人の記憶は、語る場を持ちにくく、記録もされにくかった。
その結果、そうした記憶は個人の中にとどまり、ひとりきりになりやすい。しかし、それは単に個人の問題ではない。記憶が孤独になっているということは、その記憶を受け止める社会の器が十分でなかったということでもある。記憶の孤独を放置することは、人の孤独を社会が放置することにもつながりかねない。
『3月16日の私の日記』は、まさにこの点に注目する。
発災から五日目(五日後)という、追悼にも伝承にもまだ整理されきっていない「間(あわい)」と言える時間に焦点を当て、その日にあった一人ひとりの経験を日記というかたちで寄せてもらう。日記という形式は、完成された証言や教訓ではなく、その日にあった揺らぎやためらい、言葉になりきらない感情を語り、また受け止めることができる。
この企画が目指すのは、日記を集めることだけではない。 ひとりきりになってきた記憶を社会の中に置き直し、そこから、東日本大震災という、巨大、広域、かつ複合災害があぶり出してきたにもかかわらず、まだ十分には見えていない社会のありようを、私たち自身の問題として掬い直すことである。
つまり『3月16日の私の日記』は、追悼と伝承のあいだに置き去りにされがちな時間と、ひとりきりになっている記憶を受け止める器である。
そしてそこから見えてくる社会課題を可視化し、未来へ手渡していくための企画でもある。
(1)日記・記憶の募集
・3月16日にまつわる日記、手記等、発災から少し経った頃の断片的な記憶の募集
・被災地・内陸部・遠隔地を問わない幅広い呼びかけ(福島県の県外移住者を含む)
・文字だけでなく、短いメモや声、写真、絵など柔らかな形式も継続してお声がけ
(2)受け取り・編集・保存
・寄せられた日記の整理、編集、保存
・原文性を尊重しながら、公開のあり方を検討
・継続的なアーカイブ化
(3)公開・共有・連携
・Webや小冊子による公開
・朗読会の開催(東北各地)
・パネル展などの小規模の展示
・「東北3県」の伝承施設、文化施設、学校等との協働
・音声、朗読、映像、音楽などとの連動
・伝承館等での企画展
・Web上で展開する展示
・能登半島など他地域での朗読会
・巡回型・移動型プログラムへの発展
・若い世代、未来世代への受け渡し
・英語をはじめとする多言語化