「5日目の約束の場所」とは
「5日目の約束の場所」とは
〜いのちを守ったあとの、こころを守る場所〜
災害発生時、人びとはまず、いのちを守るために避難し、安全を確保し、日々をつなぐための場作りへとつながっていく。
その一方で、発災直後の混乱がやや落ち着き始めた頃、人はあらためて、不安や喪失、言葉にならない感情、先の見えなさと向き合うことになる。そうした時期に必要となるのは、物資や情報だけではない。人と出会い、声を交わし、少し息をつき、自分の感覚を取り戻していける「場」である。
「5日目の約束の場所」プロジェクトは、災害後のそうした時間に、人が“こころのよりどころ”として集まれる場所を、平時に、地域の中であらかじめ育んでおく試みである。本プロジェクトが想定するのは「避難所の代替ではなく」文化施設、交流拠点、カフェ、地域の居場所などを基盤とした、もう一つの地域の受け皿である。そこに、地元の幅広い表現者、文化人、市民、施設関係者らが関わり、災害後の地域に、小さくとも確かな灯りをともすことを目指す。
ただし、その灯りは、ゼロから点すものではない。この『5日目の約束の場所』は、新しく作るものでも、外から持ち込むものでもない。どの土地にも、英雄ではない名もなき先人たちが、幾度もの津波・地震・飢饉を生き抜き、共同体のこころを守り抜いてきた歴史 ─ いわば「サバイバルOS」─ が、地層のように堆積している。本プロジェクトは、それをその土地の人びとと共に見つけ直し、平時に「こころのよりどころ」を育て、災害時にはそれが自然に立ち上がるようにする試みである。
そして本プロジェクトは、TOHOKU2041 Project が掲げる三つの実践 ──「3月16日の私の日記」「記憶の中の住まい」ツアー、そして本プロジェクト ── のひとつであり、「受取人の想像力から始まる伝承」という、ひとつの回路の上にある。
本プロジェクトでは、まず各地で「約束の場所」となりうる文化・交流拠点を調査し、候補地を選定する。そのうえで、その地域に根ざす幅広い表現者、市民団体、表現者、文化人、施設関係者らとの対話を重ね、災害時にどのような場が必要となるのか、どのような人が関わり、そしてどのような関わりかたがあるのかを話し合い、地域ごとの構想を育てていく。
平時の活動は、以下の4つの要(カテゴリー)である。
①「わたしたちの5日目ミーティング」
一つ目は、ワークショップ、トーク、朗読会、試行的な交流企画、小規模なアートプログラムなどを通じて、その地に集まった人たち自身の検討を経て、「わたしたちのための『5日目の約束の場所』」を考えていくことである。
発災時には、まず安全確保と避難所対応を優先したうえで、5日目ごろを目安に、状況に応じてその場所を開くことを想定する。事前に、炊き出し、音楽、対話、朗読、子どもの居場所づくりなど、地域の実情に応じた営みを、一度ひらいてみる。その地に暮らす方々が「ここに来れば誰かに会える」「少し休める」と感じられる場をイメージすること ─ それが、一歩目となる。
この場の運営は、行政が完成形を引き渡すのでも、専門家がすべてを設計するのでもない。地元の表現者・文化の担い手・市民が「自分たちで場をひらく」こと ─ 誰かがやってくれるのを待つのではないこと ─ が、本プロジェクトの根幹である。
その後は、必要に応じて外部の支援者も現地に入り、無理のないかたちで交流を支え、実践の記録を残し、次なる災害へのアップデートを行っていく。
②「サバイバルOS研究部」
本プロジェクトの二つ目の要は、この場が外から持ち込むものではなく、この地に脈々と受け継がれてきた先人の防災の経験から紡ぎ出された知恵を、必要に応じて、もう一度、現代版にアップデートすることである。
先人たちは、幾度もの津波・地震・飢饉を、英雄としてではなく、名もなき日々の振る舞いとして生き抜いてきた。その「歴史的生存戦略」は、よく知られた物語の陰、強い光のすぐ脇の暗がりにこそ、眠っている。研究部は、それを地元の人びととともに掘り起こし、現代の暮らしに合うかたちへと読み直していく。
具体的には、古文書・板碑・口伝・地名から土地のサバイバルOSを読み解くワークショップ、それを語り合うトークや朗読の会、地域の文化拠点・市民団体・表現者がゆるやかにつながる集まりを、地元の人びとが主体となって重ねていく。和歌山であれば、五十基を超える津波碑をたどる「板碑トレイル」など、その土地ならではの企画を、地域とともに育てることもできる。
③「5日目の東日本大震災 再生室」
遠い土地の「5日目」を知ることは、まだ災害を経験していない地域にとって、自分たちの「5日目」を想像するための、確かな手がかりとなる。
3つ目の要は、前述①のミーティングのなかで、2025年度に開催した「3月16日の私の日記」朗読会の映像を用い、東日本大震災の発災後5日目が、実際どのようなものであったのかを共有する。それにより、各地が自分たちの「5日目の約束の場所」を考えていく契機とする。
④「5日目のFUN COOKING」
4つ目は、プロジェクトを長く続けるための要となる「FUN」である。
愛媛県松山市にて、本プロジェクトの一員である梶原剛氏が、2012年11月に初めて開催した取り組みである。2024年には「[海とcafe]5日目 FUN COOKING」と名づけ、「明るい炊き出し」を目指して開催してきた。キャッチフレーズは ──「災害等が起きた時、まずは大切な命を守る。そして、生き抜き、5日目にここに集まろう」。家にあるものを持ち寄る、民間の避難訓練であり、食の防災ワークショップである。
本プロジェクトでは、発災後の暮らしを支える重要な要素である「食」を入り口に、人びとが楽しみながら集い、「いざというときは、生き抜いて、また五日目にここで会おう」という“約束”を、平時のうちに、楽しみを通じながら交わしておく。
東日本大震災をはじめ、各地の災害は、いのちを守る備えの大切さを、私たちに強く教えてきた。逃げること、生き延びること ── その備えは、年々、確かなものになってきている。
しかし、いのちを守ったあとに、もうひとつの時間が始まる。発災から数日が経ち、極度の緊張が少しずつほどけ始めた頃、人はあらためて、不安や喪失、言葉にならない感情と向き合うことになる。この時間に対しては、社会の仕組みも、地域の営みも、まだ十分な支えを持てていない。
本プロジェクトが着目する「5日目」とは、この時間の象徴である。急性期のただなかは過ぎ、しかし被害の全体像は、なお見えきらない。復旧や明日を語るには、まだ早い。避難所の慌ただしさのなかで、ふと我に返る ─ そういう時間である。その時期に、地域の中に「立ち寄れる場所」「会える場所」「少し息のつける場所」があるかどうかは、その後の回復の道のりに、静かに、しかし深く関わってくる。
この時期に必要なのは、人を励まし、語らせ、前を向かせる場ではない。哲学者・鷲田清一は、傷ついた人に向き合う者に求められるのは、ただひとつ ─「言葉を迎えに行かないこと」、すなわち、待つことだと述べている。よかれと思って差し出された言葉が、かえって人から言葉を奪うことがある。声がこぼれてくれば、そっと受けとめる。こぼれてこなければ、せかさず、待つ。「5日目の約束の場所」が平時から準備するのは、そういう「待つことのできる場」である。
防災は、いのちを守ることだけでは完結しない。いのちを守った、そのあとに、こころを守り、人と人とのつながりを守る視点が要る。本プロジェクトは、この課題に対し、「災害と文化」という視点から、新たな実践モデルを提示するものである。
・発災後、いのちを守ったあとに、人が“こころのよりどころ”として立ち寄れる場所を、平時のうちに
「立ち上げる準備」をしておくこと。
・その準備を通して、地域の関係者のあいだに顔の見える関係が育まれ、発災時には、地域の側から無理
なく人を支える関係や仕組みが立ち上がること。
・この場は、外から持ち込むものではなく、足元にすでにある先人たちの声に気づき、その声をもとに、
いま私たちが生きぬくための“現代版のOS”を、みんなでつくっていくこと。
・そうしてつくったものを、急がず、静かに、アップデートし続けること。
・強い光のすぐ脇、その暗がりにいる名もなき人びとの振る舞いにこそ、目を凝らすこと。
・遠い土地の災害の経験の声にも気づき、自らの未来に活かすこと。
・FUN(楽しさ)を大切に、FUN(フォロワー)を増やしていくこと。楽しくなければ、絶対に続かない
こと。
・外から完成形を持ち込まず、その土地の歩みに合わせて、ひとつずつ積み重ねていくこと。
・最終目標は『風化※』であること。特別に意識しなくても、生活の延長上に、この「場所」が当たり前に
在ること。
※『風化』:徳を持って教化(内面化)すること(広辞苑 第7版/カッコ内は代表佐藤)
1)「既に足元にある」を、見つけ直す ─ 先人の知恵を再認識
本プロジェクトの起点は、ただ一点 ─「既にある」ことに、気づくことである。
名もなき先人たちが共同体のこころを守り抜いてきた『歴史的生存戦略』は、古文書・板碑・口伝、そして地名のなかに、いまも残っている。表のメロディとしては聴こえないが、底でずっと鳴り続けている ── 通奏低音のように。『5日目の約束の場所』は、その通奏低音を、現代の暮らしのなかで再び鳴らすための「再生装置」である。
そして、外から「正解」を持ち込むのではなく、土地の人びとのなかに気づきが静かに立ち上がる、その余白を、決して埋めない。気づきは、与えるものではなく、立ち上がるものと考える。
2)五日目の稲村の火 ─ アンサング・ヒーローの発見
和歌山・広川の「稲むらの火」─ 濱口梧陵が稲むらに火を放ち、村人を高台へ導いた物語は、よく知られている。だが本プロジェクトが探すのは、その火が照らした「その先」である。高台にたどり着いた人びとは、その後をどう生き延びたのか。誰が泣く子をなだめ、なけなしの米を炊き、絶望する隣人の正気をつなぎとめたのか。
本プロジェクトでは、これを「五日目の稲村の火」と呼ぶ。広川の堤防に土を運んだ延べ五万の村人。湯浅の地に後世への心得を刻んだ恵空一菴。串本で、自分たちの冬の備蓄をエルトゥールル号の遭難者に躊躇なく差し出した漁民たち。─ 英雄になろうとはせず、それでも共同体のこころを守った人びとである。
よく知られた物語は、探索の入り口(導火線)にすぎない。真に探したいのは、「強力な光の、すこし周りの、暗くなっているところ」である。それを、その土地に暮らし、土地のために働いてきた現代の「地元のアンサング・ヒーロー」たちと共に、郷土史やお寺の過去帳、古老の口伝のなかから掘り起こしていく。
3)文化と「風化」─ 営みのスタイル、アップデートとしての伝承
文化は、防災の「次」に来るものではない。鷲田清一が言うように、文化とは、どう暮らし、どう人と関わり、どう生き死にに向き合うか ─ その営みのスタイルそのものである。災害を生き抜くこともまた、ひとつの文化である。
そして「風化」─ 本プロジェクトは、これを記憶が薄れることではなく、記憶が殊更に語らずとも生活のなかに息づいている状態へ向かうこと、と再定義する。OSが完璧に機能しているとき、人はその存在を意識しない。誰も防災を声高に叫んでいないのに、サバイバルOSが暮らしの根底で自動更新され続けている状態 ─ それこそが、究極の「風化」であり、究極の「実装」である。伝承とは、先人のOSを変質させずに保存することではなく、いまの暮らしに合わせてアップデートし続けることと捉えている。
第一弾の候補地は、近い将来の南海トラフ地震が想定される、愛媛県(松山および宇和海沿岸)、和歌山県(白浜・串本ほか)である。
これらは、ばらばらの「展開先」ではない。「南海トラフ伝承文化の連環」とでも呼ぶべき、ひとつの長い帯を成している。和歌山には五十基を超える津波碑が点在し、愛媛には村落共同体の記録を集めた「えひめの記憶」や、安政南海地震を伝える古文書がある。TOHOKU2041 は、東北で15年積み重ねたものを、これらの土地に持ち込むのではなく、各地にすでに育っている災害文化の地層に「合流」する。
各地の文化拠点や関係者とのヒアリングを通じて、地域の実情に即したモデル形成を進め、そこで得られた知見を、他地域へと共有していきたい。将来的には、各地の表現者、施設、地域団体がゆるやかにつながり合いながら、「5日目の約束の場所」の実践が全国へ広がっていくことを構想している。
本プロジェクトにより、災害後の地域に、避難所では得られにくい“こころの拠り所”を、早い段階から、地域の側から無理なく生み出せることが期待される。また、平時から文化拠点と市民、表現者、地域団体がつながることで、災害時に機能する共助の土台を育むことができる。さらに、各地の実践を蓄積・共有することで、「いのちを守ったあとの、こころを守る場所」という発災後の地域に必要なもう一つの備えを、将来的には全国へ広げていくことも視野に入れている。
「5日目の約束の場所」は、発災後の人の時間に、そっと寄り添うための準備である。それは、非常時のためだけの仕組みではない。平時から地域の関係を耕し、災害における文化の力を確かめ、人が人を支える土壌を育てる営みでもある。本プロジェクトを通じて、災害後の地域に必要な“もう一つの備え”を、各地に根づかせていきたい。
そして、本プロジェクトが最終的に増やそうとしているもの ── それを一語で言えば「記憶人口」である。
「記憶人口」とは、古文書や口伝に宿る先人の知恵を通して、誰かの記憶や経験をそっと受け取り、次の世代へ手渡していく、厚みのある人びとのことである。地縁・血縁の枠を越え、ひとつの土地に縛られず、記憶を静かに受け取り、また静かに送り出す ── その広やかな広がりである。交流人口が「きっかけの物語」、定住人口が「日常の物語」、関係人口が「想いの物語」だとすれば、記憶人口は「受け取りの物語」である。
気づいた人から、次の語り手へ。受け取った人が、次の差し出し手へ。その連鎖を、土地の方々と共に始めていく。